ー甲斐健の旅日記ー

化野念仏寺/無縁仏を拾い集めて、多くの名もなき人々を供養する寺院

 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺院です。山号は華西山(かさいざん)と称します。開基は空海、中興の祖は法然上人です。化野は東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野(れんだいの)と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られます。

 化野念仏寺の起源は、寺伝によると、弘法大師空海が弘仁年間(810~24)に開いた五智山如来寺だとされます。空海はこの地で、野ざらしになった遺骸を埋葬して弔いました。小倉山寄りを金剛界(こんごうかい)、曼荼羅山寄りを胎蔵界(たいぞうかい)として、千体の石仏を弔ったといいます。さらに空海は、中央を流れていた曼荼羅川の河原に、五智如来(ごちにょらい)の石仏を立てたといいます。そのため、空海が建立した一宇(いちう)は五智如来寺といわれ、大覚寺所轄の真言宗の寺だったといいます。その後、鎌倉時代初期に、法然が念仏道場として寺名を華西山東漸院念仏寺と改め、浄土宗の寺院となりました。

 化野(あだしの)とは、はかない、むなしいという意味で、「化」の字は「生」が化して「死」となるという意味になり、この世に再び生まれ変わることや、極楽浄土に往生する願いなどを表しているといいます。この化野の地は、古来より葬送の地で、風葬から土葬になったころから人々が石仏を立てて、永遠の別れを悲しんだ場所といわれています。

 現在ある本堂庫裏(くり)は、正徳2年(1712)に寂道(黒田如水の外孫)が再建したものです。本尊として安置されている阿弥陀如来坐像は、湛慶(たんけい:鎌倉時代の慶派仏師、運慶の長男)作といわれます。

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 化野念仏寺へは、京都駅からですと、京都バス72、74系統に乗り、「鳥居本」で降ります。一旦京都駅方面に戻り、瀬戸川を渡ってバス道路の南西に平行に走る道(料理店などが立ち並ぶ道です)に出て右に曲がって少し進むと、左手に念仏寺に至る石段があります。バス停から歩いて数分の距離です。

 境内に入り、左手に進むと、大きなレンガ積みの仏舎利(ぶっしゃり)塔があります。この仏舎利塔はインドの聖地サンチー僧院より奉じて、この地に安置されたもので、念仏寺住職・原弁雄師がインドのサンチーの大僧正と親交を深め実現したものだそうです。また、仏舎利塔の前には鳥居(トラナ)が建てられています。一般的な鳥居といえば、二本の柱の上に、水平材として「笠木(かさぎ)」を渡し、その下にもう一本の水平材として「貫(ぬき)」を入れて固定していますが、この念仏寺の鳥居には、貫が二本ある形になっています。このような鳥居は京都ではここでしか見ることが出来ないそうで、一見の価値がある珍しいものだそうです。

 境内の中央にある「西院の河原」には、約8,000体といわれる石仏や石塔があります。釈迦の説法を聴く人々の姿になぞらえて並べられているといいます。この石仏、石塔は、化野一帯に葬られた人々のお墓です。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、化野の山野に散乱埋没していた石仏を、明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえて並べて祀っているそうです。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養が、毎年8月22日の夕刻より行われ、光と闇と石仏が織りなす光景は、浄土具現のようだと、多くの参加者が集まるそうです。

 「西院の河原」の奥に本堂、地蔵堂、水子地蔵があります。本堂は江戸時代の正徳2年(1712)に寂道上人により再建されました。本尊の阿弥陀如来坐像(湛慶作:鎌倉時代)が安置されています。地蔵堂には、新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすという延命地蔵尊が祀られています。水子地蔵は、茅葺屋根の小さなお堂で、毎月24日のお地蔵様の縁日には、本堂で水子供養が行われるそうです。

 水子地蔵の脇からさらに奥へ進むと、「竹の小径」があります。霊園墓地へ上がる参道ですが、青々とした竹林の中を上るなだらかな階段沿いには小柴垣が続き、情緒豊かな参道です。「どこかで見たことがある風景だな」と気づく人もいるかもしれません。そう、「windows7」のウィンドウ背景画像にある竹林の風景がこの念仏寺で撮影したものだそうです。「竹の小径」を上りきると、霊園墓地に着きます。その一角に、「六面六体地蔵」があります。古代インドでは、人間は六道を永遠に巡り生まれ変わると信じられていました。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天道と呼ばれる世界です。このこと(輪廻:りんね)を苦しみととらえ、そこから脱却するためには悟りをひらくしかないとして、仏教の教えが生まれたといいます。この「六面六体地蔵」の各面には、六道にいて人々に救いの手を差し伸べている地蔵様が彫られています。参拝者は、天道の地蔵様から時計回りに六体のお地蔵様をお参りをしていきます(罪障を洗い流すために、水をかけて拝んでいきます)。

 最後に、化野念仏寺は紅葉の名所としては、あまり知られていないようですが、私が訪ねたときは(11月26日)、境内の紅葉は燃え上がるように美しくとても感動しました。紅葉の隠れた名所だと思います。

 おびただしい数の石仏や石塔を見ると、創建時の空海に始まり、野ざらしで無縁仏となった石仏を拾い集めた明治期の多くの人々の思いが伝わってくるような気がします。「西院の河原」の中に入ってみると、自分も釈迦の説法を聞いている一員になったかのような錯覚さえ覚えました。多くの名もなき人々にさえ救いの手を差し伸べる「化野」の人々の優しさが今に伝わる、化野念仏寺の境内でした。



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