ー甲斐健の旅日記ー

貴船神社/縁結びの神として霊験あらたかな「恋の宮」

 貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都市左京区にある神社です。二十二社の一社です。旧社格は官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)で、現在は神社本庁の別表神社となっています。全国に約450社ある貴船神社の総本社です。社殿は本宮、結社(ゆいのやしろ:中宮)、奥宮の3箇所に分かれています。本宮の祭神は、高龗神(タカオカミノカミ:水を司る神、イザナギノミコトの御子神)で、結社の祭神は、磐長姫命(イワナガヒメノミコト:縁結びの神)、奥宮の祭神は、闇龗神(クラオカミノカミ)ですが、これは高龗神と同じ神であるとされています。地域名の貴船(きぶね)とは違い、水の神様であることから濁らずに「きふね」と発音します。

 貴船神社の創建時期は不明ですが、社伝では、神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、黄色い船に乗って淀川から鴨川、貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのが始まりとされます。社名の由来は「黄船」によるものとしています。また一説には、反正天皇(はんぜいてんのう:在位406~410年)の御世の創建ともいわれます。実際、白鳳6年(666年)の建て替えの記録が残っていることから、その歴史は古いと考えられています。平安京遷都後は、貴船が御所の御用水の鴨川の最上流にあたることから、川上神として崇拝されていました。朝廷からは、日照りには雨乞いのための黒馬、長雨には雨止めのための白馬が奉納されていたといいます。時には、生きた馬の代わりに板の上に馬が描かれた「板立馬(いたたてうま)」が奉納されたこともあり、これが絵馬の起源になったといわれます。

 この地は、「気生根(きぶね)」あるいは「気生嶺(きぶね)」とも呼ばれ、気力が生じる地であると信じられてきました。気力が蓄えられると運気があがり、また水は命の源で、悪いものを流して心を浄化するものとされます。こうした「気」と「水」に満ちた貴船神社は、心願成就の神として多くの人々の信仰を集めてきました。

 永承元年(1046)7月、出水により社殿が流失したため、天喜3年(1055)に現在の本宮の地に社殿を再建、遷座したといいます。そして、元の鎮座地は奥宮として現存しています。貴船神社は長い間、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社(せっしゃ:本社に縁故の深い神を祀った神社)とされてきました(天喜3年の社殿再建が契起となっているとする説があります)。しかし、明治以降になって、ようやく独立の神社となって現在に至っています。

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 貴船神社へは、出町柳駅から叡山電鉄鞍馬線に乗り、貴船口駅で降ります。ここから京都バスに乗り換えて「貴船」で降ります。あるいは、鞍馬寺から奥の院を通って山を下り、県道に出たら右折して少し歩くと貴船神社に着きます。

 バス停から貴船川を右手に見ながら少し歩くと、赤い鳥居(二の鳥居:1989年再建)が見えます。ここが本宮です。鳥居をくぐって、春日灯籠が立ち並ぶ石段を登り、南門をくぐると、本宮境内です。南門の傍らに、ご神木のカツラが立っています。樹齢400年、樹高30mです。根元から枝がいくつにも分かれて天に向かって伸び、上方で八方に広がっています。これは、神気が龍の様に大地から立ち上っていく様を象徴しているのだそうです。また境内には、板立馬(願掛け馬)の白馬と黒馬の神馬像があります。前述のように、貴船神社の板立馬が絵馬の起源とされています。この新馬像の隣に立つのが、末社・祖霊社(それいしゃ)です。 社人(しゃにん:神社に仕えて社務に従事する神職)、氏子、崇敬者の祖先の御霊(みたま)を祀っています。

 神馬像の側の石段を登ると、本殿拝殿の前に出ます。この拝殿の奥が本殿です。本殿は、一間社流造(ながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。拝殿は、入母屋造(いりもやづくり)で切妻向拝切妻屋根の向拝)が前面についています。本殿や拝殿は何度も造り替えが行なわれてきましたが、現在見る建物は、「平成の御造営」事業によって、基礎からすべてを一新して建て替えられたものだそうです。竣工は平成17年(2005)です。拝殿の向かい側に、御神水が湧き出ている「水占齋庭(みずうらゆにわ)」があります。この御神水は、貴船山より湧き出しており、涸れたことがないといいます。弱アルカリ性の良質な天然水で、自由に飲むことが出来ます。また、「水占みくじ」をこの齋庭(ゆにわ)の水面に浮かべると、文字がゆっくりと浮かび上がるという趣向のおみくじもあります。

 本宮から上流側に300mほど上っていくと、結社(ゆいのやしろ:中宮)があります。磐長姫命(イワナガヒメノミコト)を祭神とし、縁結びの神として信仰されています。磐長姫命が縁結びの神とされることになった理由として次のような伝承があります。天孫ニニギノミコト(天照大神の孫、神武天皇の曽祖父)が磐長姫命の妹の木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)と結婚しようとしたとき、姉妹の父の大山祇命(オオヤマツミノカミ)は、磐長姫命も共に奉ったといいます。しかし、ニニギノミコトは木花開耶姫とだけ結婚したので、磐長姫命はそれを恥じ、「縁結びの神として良縁を授けん」と言って当地に鎮まったということです。以前は、境内の細長い草の葉を結び合わせて縁結びを願っていましたが、現在は植物保護のため本宮で授与される「結び文」に願文を書いて指定場所に結ぶことになっています。

 現在の中宮の社殿は、平成23年(2011)秋から行われた社殿改修・境内整備事業ですべて一新され、平成24年(2012)4月に竣工したものです。

 社殿から北に少し上ったところに、天の磐舟(あめのいわふね)と呼ばれる舟型の自然石があります。平成8年(1996)、京都の作庭家久保篤三氏により奉納されました。中宮の御祭神磐長姫命の御料船として納められたものです。この自然石の近くに、「結び文」の掛け所があります。

 中宮には、平安時代中期の女流歌人和泉式部の歌碑があります。平成6年(1994)に造られました。和泉式部は、再婚した夫の藤原保昌の心変わりに悩み、貴船神社に参詣して名歌を捧げて恋を祈った結果、その願いはかなえられ、よりを戻したといいます。それ以来、貴船神社は「恋の宮」と呼ばれるようになったそうです。

「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る」

(恋しくて思いつめ、沢を飛ぶ螢の光りが、まるであの人を求め、私の体からさまよい出た魂のように見える)

 中宮には、京都生れの近現代の俳人で京大内科教授でもあり、高浜虚子に師事したこともある松本いはほ(巌)の句碑もあります。  

「貴船より 奥に人住む 葛の花」

 中宮から上流にさらに400mほど上ると奥宮があります。その途中の左手に、御神木の相生(あいおい)の杉があります。同じ根から生えた二本の杉が、寄り添うように生えています。仲睦まじい夫婦のようだとして、夫婦杉とも呼ばれます。樹齢1,000年だそうです。「相生」は「相老」に通じ、夫婦ともに長生きという意味にもなります。

 奥宮の入り口にある鳥居(三の鳥居)の脇には、思い川の石碑があります。鳥居のすぐそばを流れる思い川は、かつて貴船神社の本宮が現在の奥宮の地にあったころ、「御物忌(おものいみ)川」と呼ばれていました。参拝者はこの川で禊(みそぎ)をして身を清めていたといいます。平安時代中期には、和泉式部も恋の成就を願って参詣しました。やがて、この式部の恋の話が人々の間に広まり、いつの頃からかこの川は、「思ひ川」と呼ばれるようになったということです。

「思ひ川 渡れば またも花の雨」(高浜虚子)

 思い川にかかる思い川橋を渡って少し進むと、「つつみヶ岩」という大きな岩があります。貴船石とよばれ、紫がかった色をしていて、古代の火山灰が堆積してできたものだそうです。重さは約43t、高さ4.5m、周囲9mあります。この巨岩から先に進み、朱塗りの神門をくぐると、奥宮境内に出ます。

 境内に入ってすぐ左手に、ご神木の連理(れんり)の木があります。連理とは、別々の木が一つに重なり合うという意味で、夫婦・男女の間の仲睦まじさを表現しています。この木は、杉と楓が一体になっており、夫婦、男女和合の意味があるとされています。大正13年(1924)に、貞明皇后(ていめいこうごう:大正天皇皇后)が参詣されたとき、この木を称賛されたといいます。この連理の木のすぐそばに、末社・日吉社があります。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと:=大国主命)です。山の神で貴船山を守護しています。

 境内中ほどに建つ末社・吸葛(すいかずら)社の祭神は阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネノミコト:大国主命の子)です。農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されています。

 境内奥にある奥宮本殿は、飛鳥時代の斉明天皇元年(655)に社殿を作り替えた記録があり、それ以前から存在したとみられています。現在見る建物は、天保年間(1830~44年)に建立され、その後度々修理が施されました。一間社流造の建物です。また扁額は富岡鉄斎の筆だそうです。本殿の真下には竜神の住む「竜穴」と呼ばれる大きな穴があいていますが、だれも見ることは許されていないといいます。龍穴は、人目を忌むべき最も神聖なものとされ、神殿の建替えや修理などに際しては、「附曳神事(ふびきしんじ)」という特殊な神事が行われるそうです(平成23年の解体修理の時にも行われたそうです)。本殿すぐ近くにある権地(ごんち)は、遷宮の際などに一時的に遷座する地です。

 奥宮境内北西には、神武天皇の母玉依姫が、黄色い船に乗って淀川から鴨川、貴船川を遡って貴船に上陸した時乗っていた舟を、人目につかない様に石を積んで囲んだという伝説をもった船形石があります。航海や旅行にその小石をもっていくと、安全に旅することが出来るという言い伝えがあるそうです。船舶関係者の参拝が多いといいます。

 貴船神社は、水を司る神を祀り、都の人々の命を守る神社でした。それにしても、少なくとも平安時代から現在に至るまで、「縁結びの神」として、人々の信仰を集め続けているのは驚きです。最近では、就職や受験における「縁結び」の御利益を求めて多くの参拝客があるそうです。



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