ー甲斐健の旅日記ー

三重津海軍所/佐賀藩の近代化事業を育んだ造船・教育施設

 三重津(みえつ)海軍所は、佐賀県と福岡県の県境を流れる早津江川(はやつえがわ:筑後川の支流)の河口に造られた、蒸気船等の船の修理や造船施設および操船の教育訓練のための施設です。安政5年(1858)、佐賀藩の藩主・鍋島閑叟(かんそう:直正)によって創設されました。当時の佐賀藩の海軍力や高い造船技術を示す遺構です。

 安政4年(1857)3月、築地に軍艦操練所が新設されるのに伴い、長崎にあった海軍伝習所が創設わずか2年で縮小されることになりました(1859年閉鎖)。そのため佐賀藩は、伝習所で学んでいた多くの佐賀藩士(47名)を受け入れ士官教育を継続させるための施設を創設しました。これが三重津海軍所です。この施設の敷地には、所有する西洋船の修理場も増設されました。ここでは、航海術、造船技術などの講習が行われたほか、蒸気船や西洋式帆船の修理・製造のためのドックも設置されていました。慶長元年(1865)には、国産初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」が三重津で製造されました。

 三重津海軍所跡では、平成21年(2009)から平成26年(2014)にかけて発掘調査が行われ、洋式船の修理部品工場やドライドック(船を修理・建造するドックにおいて、ドック内を排水しても盤木で船体を支え直立させておくことができる施設)などが見つかっています。特にこのドライドックについては、同時期に幕府によって造られた横須賀製鉄所(造船所)ドックが外国人主導で建造されたのに対し、三重津のドックは日本人独自の設計により建造されたものだということが、発掘調査によって明らかになっています。佐賀藩の技術力の高さを示すとともに、ドック建造に従事した人々の苦労の跡をうかがい知ることができます。

 現在、遺跡は保存のために埋め戻され佐野公園となっています。三重津海軍所で活躍したのちに西南戦争の戦時下において日本赤十字社の前身の博愛社を創設した佐野常民(つねたみ)氏を記念して、佐野常民記念館が建っています。

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 三重津海軍所へは、佐賀駅バスセンターからですと、諸富・早津江線(⑳)に乗車し、「佐野常民記念館入口」で下車します。バス停から少し戻って交差点を南下(右)して、500mほど歩いたところに三重津海軍所跡があります。なお、土日・祝日には佐賀市営バスの「ぐるっと世界遺産観光バス」が運行されています。これに乗れば、「三重津海軍所跡前」で下車できます。

 前述したように三重津海軍所跡は、遺跡保全のために埋め戻されており、広大な更地が見えるだけです。隣接している佐野常民記念館の二階で、「みえつSCOPE」を借りて敷地内を巡ることにより、当時の様子が音声ガイド付き・360度イメージ画像で見ることができます。番号の書かれた看板の近くに寄ると、自動的に音声ガイドがスタートし、スコープを通して当時の映像を見ることができます。

①三重津海軍所の全景 ➪ ②船屋地区 ➪ ③稽古場地区 ➪ ④修復場地区の製作場 ➪ ⑤修復場地区のドックⅠ ➪ ⑥修復場地区のドックⅡ の順に回っていきます。

 隣接する佐野常民記念館では、三重津海軍所にかかわる様々な展示物や映像を見ることができます。3階展示室では、ドライドックの1/50模型や原寸大パネル、出土品の展示および佐賀藩における近代化事業の解説ビデオを見ることができます。1階では、直径6mのドームに映し出される臨場感あふれる映像が楽しめます。内容は、佐賀藩が三重津海軍所創設に至った経緯などについてです。なお、有料ですが、2階では日本赤十字社の創始者である佐野常民氏の業績を紹介する展示や映像を見ることができます。



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