ー甲斐健の旅日記ー 旅の記憶 旅の記憶

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石田三成ゆかりの地を訪ねるNEW_g
~天下分け目の戦いに挑んだ近江の知将~
豊臣政権の存続を願って、大敵・徳川家康との決戦にのぞみ、武運つたなく敗北した石田三成のゆかりの地を訪ねました。開戦前の戦力は双方互角といわれた関ケ原の戦いで、三成がなぜ負けてしまったのかについても、考えていきます。
中岡慎太郎 中岡慎太郎・坂本龍馬のふるさとを訪ねる
~薩長同盟を演出したもう一人の主役──中岡慎太郎~
 幕末、薩長同盟や薩土盟約の成立を演出し、明治維新への道を切り拓いた二人の英雄──中岡慎太郎と坂本龍馬のふるさとを訪ねました。一般には、薩長同盟は坂本龍馬が成し遂げた大業だと語られることが多いようです。かし、中岡慎太郎が果たした役割も、龍馬に負けず劣らず大きいものがあります。このコラムでは、華麗な坂本龍馬の活躍の陰で、新しい日本の国造りに大きなな役割を果たした中岡慎太郎という人物にスポットを当て、その人生と功績について見ていきたいと思います。
豊臣秀吉 豊臣秀吉ゆかりの地を訪ねる
~秀吉が唐入りを決断したわけとは~
豊臣秀吉といえば、下層民の子(足軽の家あるいは農家の生まれともいわれる)として生まれながら、織田信長に仕えて大出世を遂げ、信長亡き後は、戦国の世を終わらせ天下統一を成し遂げた大英雄の一人とされます。ところが、秀吉が晩年に行った外交政策(唐入り;朝鮮出兵)は、江戸期から現代にいたるまで、「誇大妄想狂」などと揶揄(やゆ)され多くの識者の非難の的となっています。一体秀吉は、何のために唐入りを決断したのでしょうか。考えてみたいと思います。
犬公方 犬公方と呼ばれた将軍・徳川綱吉ゆかりの地を訪ねる
~将軍綱吉は「バカ殿」だったのか?はたまた、「名君」だったのか?~
 徳川歴代将軍の中で、5代将軍綱吉ほど評判の悪い将軍はいないと思われます。とりわけ彼が打ち出した生類憐みの政策は、古今東西の文献で非難の的となっています。今回はその綱吉ゆかりの地を訪ねてみました。綱吉が生類憐みの政策に込めた思いとは何だったのか?綱吉は本当に「バカ殿」だったのか、考えてみたいと思います。
田沼意次ゆかりの地・相良を訪ね歩く 田沼意次ゆかりの地・相良を訪ね歩く
~「賄賂の帝王」と呼ばれた田沼意次の実像とは~
 江戸時代中期、側用人兼老中として絶対的な権力を握っていた田沼意次のゆかりの地・相良を訪ねました。「賄賂の帝王」として悪名高い意次ですが、本当のところはどうだったのでしょうか。「田沼時代」の政治をふりかえって、考えてみたいと思います。
-西郷隆盛・江藤新平の故郷を訪ねる 西郷隆盛・江藤新平の故郷を訪ねる
~西南戦争・佐賀の乱で散った最後のサムライ~
明治六年の政変で下野して郷里に帰り、その後不平士族の「反乱」に巻き込まれて散った西郷隆盛(薩摩)と江藤新平(佐賀)の故郷を訪ねてみました。西郷は本当に征韓論者だったのか、さらに二人の運命を左右した明治六年の政変の真相にも迫ってみたいと思います。
天下布武を夢見た織田信長の軌跡をたどる旅 天下布武を夢見た織田信長の軌跡をたどる旅
 戦国時代、抜群の先見性と決断力をもって天下統一に邁進した織田信長は、現在でも人気度No.1の戦国武将といわれます。 今回は、天下統一の道を歩み始めた若き日の信長から、本能寺の変で暗殺されるまでの軌跡をたどりながら、その生きざまをを見つめていきたいと思います。信長が比叡山焼き討ちによって多くの僧侶らを殺戮したのはなぜか。信長が目指した理想の社会とはどんなものだったのか。そして本能寺の変は、なぜ起こってしまったのか。そんなことを考えながら、旅をしてみました。
日本人の心のふるさと飛鳥を訪ねて
日本人の心のふるさと飛鳥を訪ねて
 6世紀から7世紀にかけて、古代日本の政治の中心地として栄えた飛鳥(奈良県明日香村)の地を訪ねました。私にとって「アスカ」は、日本人の心のふるさとのようにも感じられ、「古代のロマン」をかき立ててくれます。この「飛鳥時代」に、大臣(おおまえつきみ)として君臨し、強い権力を握っていたのが蘇我本宗家であり、その蘇我一族の一人として活躍したのが聖徳太子でした。しかし西暦645年、蘇我入鹿が中大兄皇子(のちの天智天皇)に暗殺され、蘇我本宗家は滅びてしまいます。古代日本の激動を生きぬいた人々をしのびながら、飛鳥の里を散策しました。
北の大地・函館を訪ねて
北の大地・函館を訪ねて
北の大地・函館の歴史と観光に関する紹介記事です。 幕末期にいち早く開港された函館には、外国の領事館が置かれ、教会や洋館などが数多く建てられました。現在でも、元町界隈には異国情緒あふれる街並みが残っており、港町函館とは違う一面を私たちに見せてくれます。また五稜郭は、幕臣・榎本武揚や新撰組副長・土方歳三らが最後まで新政府に抵抗し戦った地です。現在は公園となり、多くの市民の憩いの場となっています。
萩・山口 明治維新を成し遂げた志士たちが活躍した萩・山口を訪ねて
明治維新の大業を成し遂げた長州藩の城下町、萩と山口の旅行記です。萩の町には、白壁となまこ壁が美しい長屋風の武家屋敷が点在して、当時の雰囲気を現在に残しています。山口の亀山公園や香山公園は市民の憩いの場となっていますが、多くの遺構が残り、歴史探訪の旅を味わうことが出来ます。
平泉 奥州藤原氏の栄華をしのぶ東北の旅
平安時代後期、約100年にわたって奥州を支配した奥州藤原氏の中心都市平泉を訪ねました。初代清衡の平和への願い、奥州藤原氏がなぜ滅びたのか、源義経が藤原氏を頼ったわけなど、歴史的にも興味深いエピソード満載の地です。