ー甲斐健の旅日記ー

耳塚/秀吉の朝鮮出兵で犠牲になった朝鮮兵や明兵の慰霊碑

 耳塚(または鼻塚)は、京都市東山区にある史跡です。豊臣秀吉が朝鮮出兵(慶長の役)を命じた時、戦功の証として朝鮮及び明の戦死者の鼻や耳を削ぎ取って持ち帰ったものを葬った塚です。戦争で敵を討った時、高級将校なら首を、足軽など身分が低いものは代わりに鼻や耳を削いで持ち帰ったというのが当時の風習でした。しかし、朝鮮半島は遠いので、すべて鼻または耳で代用したといいます。盛り土の上に立つ五輪の石塔の下には、約2万人分の鼻や耳が埋められているそうです。この耳塚は、慶長2年(1597)に築造され、同年、相国寺住持・西笑承兌(さいしょう じょうたい)が五山(ござん)の僧を集めて盛大に供養が行われたと伝えられています。この塚は秀吉が建てた「戦勝の碑」だという見方もありますが、もともと五輪の搭は供養塔や墓として建てられるものですし、盛大な供養の儀式が行われた経緯からすると、慰霊碑とみるのが妥当だと思われます。なお、塚の周りにある石の柵は、大正4年(1913)に、歌舞伎役者や浪曲師など、当時の著名芸能人の寄付によって造られました。昭和44年(1969)には、「方広寺石塁および石塔」として国の史跡に指定され、現在に至っています。

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 耳塚へは、京都駅からですと、市バス100,206,208系統に乗って、「博物館・三十三間堂前」で下車します。バス停近くの交差点(大和大路七条)を北に進み、右手に豊国神社入口のあるT字路を左に曲がり、少し歩くとと左手にあります。近年は日本の歴史ファンのみならず、韓国からの観光客も多く訪れるようになったといいます。観光ツアーの中に組み込まれているようで、観光バスで訪れる人の波が絶えないそうです。



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