ー甲斐健の旅日記ー

実相院/門跡寺院としての格を守り抜いてきた寺院

 実相院(じっそういん)は、京都市左京区岩倉にある単立寺院(元天台宗寺門派=園城寺派)です。開基は、静基(じょうき:関白藤原基通の孫)です。門跡(もんぜき)寺院の一つで、岩倉門跡とも呼ばれています。

 もともとは、寛喜元年(1229)に静基僧正が紫野に開創したのが始まりとされます。その後今出川小川(現上京区実相院町)に移り、応仁の乱によって焼け出され(一説には乱を逃れるためともいう)大雲寺内の成金剛院(じょうこんごういん)の寺地(現在地)に移ったとされます。室町時代末期の戦乱で、多くの伽藍(がらん)が焼失しましたが、江戸時代初期に室町幕府最後の将軍足利義昭の孫の義尊(ぎそん)が入寺した時、母である古市胤子(ふるいちたねこ)が後陽成天皇の皇宮となり三子をもうけた関係で、皇室と将軍徳川家光の援助を受けて、再興されたといいます。代々の住職が天皇家と関わりのある人物だったので、実相院は門跡寺院としての寺格を高めていきました。現在ある本堂(客殿)、四脚門、車寄せは、享保6年(1721)に、東山天皇(在位1687~1709)の中宮承秋門院の女院御所を移築したものといわれます。現在これらの建物は、かなり老朽化が進み、斜交い(はすかい)や鉄柱などで補強されています。修繕のための資金集めに苦慮しているようです。

 なお幕末には、明治維新の立役者の一人岩倉具視も、一時ここに住み、幕府討伐のための密談の場となったといいます。

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 実相院へは、京都駅からですと、まず地下鉄烏丸線に乗って「国際会館」で降り、「国際会館駅前」から京都バス24系統に乗って、「岩倉実相院」で降りるのがよいと思います。

 バスから降りると、目の前に実相院の四脚門が飛び込んできます。石積みの上に築かれた築地塀の間に開かれた四脚門をくぐって境内に入ります。狭いながらも、古風で優雅ささえ感じさせる境内を抜けて玄関から、本堂(客殿)内に入ります。本堂内の仏間には、本尊の不動明王像(木像、鎌倉時代作)や歴代天皇の尊牌が安置されています。また、滝の間には、床を磨きあげて前庭の楓などの木々が映るようにしてある「床緑(とこみどり)」あるいは「床紅葉(とこもみじ)」と呼ばれる場所があります。新緑の緑や紅葉の赤が薄暗い部屋の床の鏡に映り、幻想的な情景が浮かびあがります(残念ながら撮影禁止でした)。

 実相院には池泉回遊式枯山水の二つの庭があります。本堂東側に広がる石庭は、比叡山を借景(しゃっけい)としていて、「蹴鞠(けまり)の庭」と呼ばれています。白砂と石組、植栽とで構成されています。奥の書院と本殿西の間には池泉回遊式の庭園があります。庭の楓は、新緑の頃、紅葉の頃共に見ごたえがあります。また、書院奥の庭池(ひょうたん池)には日本では数少なくなったモリアオガエルが生息しています。モリアオガエルは山地の澄んだ水辺にしか生息せず、保護地区以外ではめったに見ることはできないそうです。

 実相院は、こじんまりとした寺院ですが、門跡寺院としての格を守り、古雅な趣のある寺院だと感じました。



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