ー甲斐健の旅日記ー

山口・常栄寺/水墨画家・雪舟が作庭した回遊式庭園で知られる寺院

 常栄寺(じょうえいじ)は、山口市宮野にある臨済宗東福寺派の寺院です。山号は香山(こうざん)と称します。本尊は、千手観音菩薩です。室町時代の水墨画家・雪舟が作庭したという常栄寺庭園(通称・雪舟庭園)が有名です。

 現在常栄寺がある地は、もとは大内政弘(大内氏14代当主:1446~95年)の別邸でした。雪舟庭園は、政弘が雪舟に命じて造らせたものといわれます。康正元年(1455)、政弘の母の菩提を弔うため寺となり、妙喜寺と名付けられました。

 一方、常栄寺は永禄6年(1563)、毛利元就によって安芸(広島)郡山に創建されました。早世した元就の長男隆元の菩提を弔うためでした。開山は高僧・竺雲彗心(じくうんえしん:東福寺住職・安国寺恵瓊の師)です。

 関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏が萩に移封されたとき、常栄寺は国清寺(こくしょうじ:大内氏11代当主盛見が創建した寺)と合寺して山口市に移されました。同時に、毛利隆元夫人の菩提寺・妙寿寺も安芸郡山から山口の妙喜寺の場所に移り合寺しました。この時毛利元就の菩提寺である洞春寺(とうしゅんじ)も、郡山から萩に移されています。

 そして文久3年(1863)、長州藩13代藩主・毛利敬親が本拠地を萩から山口に移したとき、常栄寺は、萩から山口に移された洞春寺に伽藍を譲り、現在の地に移って妙寿寺と合寺しました(経緯が複雑で分かりにくいですね!結局、妙喜寺➪妙寿寺➪常栄寺と変わっていったことになります)。ちなみに山号は、国清寺の「香山」を踏襲し、「常栄」の名は、毛利隆元の法名から取ったものです。

 常栄寺は、創建以来3度の火災に見舞われています。一番最近では、大正15年(1926)、鐘楼門と宝蔵を残してすべて焼失してしまいました。しかし、近くにいた軍兵の協力もあって、本尊をはじめとする諸仏、宝物などは難を免れたといいます。その後、本堂は昭和8年(1933)に再建され、他の諸堂も建立整備され、現在に至っています。

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 常栄寺へのアクセスは、JR山口線の宮野駅から徒歩(20分ちょっと)またはタクシー(約5分)を使うのが無難と思われます。ただし、山口―宮野間は、日中1時間に1本程度しか走っていませんので、時刻表をあらかじめ確認しておいた方が良いと思います。

  まず、山門の左わきに雪舟の胸像があります。雪舟は、応永27年(1420)、備中赤浜(現岡山県総社市)に生まれました。幼くして寺に入り、京都の相国寺では画僧・周文から水墨画を学んだといいます。その後、大内氏の招きで山口の雲谷庵に居を移しました。そして中国(明)に渡り水墨画の画法をまなび、帰国後は日本独自の水墨画風を確立しました。また水墨画だけではなく、庭園も手掛けたといわれ、常栄寺の池泉回遊式庭園も、雪舟の作庭といわれています。

 切妻造(きりつまづくり)本瓦葺‘(ほんがわらぶき)の山門をくぐると、目の前に前庭「無陰」が拡がります。石畳と白砂のさわやかな感じの庭です。前庭の西に地蔵堂が建っています。入母屋造(いりもやづくり)の小さなお堂です。地蔵菩薩が祀られています。地蔵菩薩は、生あるものが輪廻によって生まれ変わるとされる六道の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)すべてにいて、私たちを導いてくれるといいます。「オン カカカ ビサンマエイソワカ」と、真言を七回唱え祈願をしましょう。

 前庭の北東にある鐘楼門をくぐり、本堂に向かいます。鐘楼門は入母屋造・本瓦葺の楼門で、二階部分には勾欄(こうらん:欄干)が施されています。本堂には、本尊の千手観音菩薩像が安置されています。この本尊は、もともとは国清寺の本尊だったそうです。本堂からは、南側に南溟庭(なんめいてい)、北側に雪舟庭と、二つの庭が楽しめます。

 南溟庭は、昭和期の代表的な作庭家・重森三玲(みれい)が昭和43年(1968)、72歳の時に作庭した枯山水(かれさんすい)の庭園です。常栄寺20世安田天山は、重森に「雪舟より良い庭を造られては困る。上手に下手な庭を造ってもらいたい。」と言って、作庭を依頼したといいます。言う方も言う方ですが、それを受けて承諾してしまう重森も、なかなかなものだと思います。この庭のテーマは、雪舟が日本と中国(明)を往復したときの航海の様子をイメージしたものだそうです。X字状に配置した石組は、何をイメージしているのでしょうか。白砂の砂紋が海原を表し、方丈側に小高い築山が配されています。「南溟(なんめい)」とは、陽の世界、彼岸を望む光明の世界を意味するといいます。雪舟は想像を絶する苦難を乗り越えて海を渡り、「南溟」の地・明をめざしたということでしょうか。明に渡って水墨画を学びたいという雪舟の熱き思いが、思い起こされるような気がします。

 本堂の北側には、雪舟庭が拡がっています。室町時代、この地に大内政弘の別邸があったころ、政弘が雪舟に造らせたものといわれます。禅宗風の日本庭園の代表作だそうです。庭園は広さが約30アール(約900坪)あります。手前には無数の石組みを配した枯山水の庭園があり、中央に池泉(心字池)を配して回遊できるようになっています。本堂から外に降りて、心字池の周りを一周することにより、変化に富んだ景観を楽しむことが出来ます。



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