ー甲斐健の旅日記ー

六義園/徳川5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保が造った庭園

 六義園(りくぎえん)は、東京都駒込にある都立庭園です。徳川5代将軍綱吉の側用人(そばようにん)として権勢をふるった柳沢吉保が、自ら設計して造営した庭園です。千川上水(せんかわじょうすい:江戸の六上水の一つ)から水を引いて池をつくり、平坦だった土地に土を盛って築山を築くなど、7年の歳月をかけて造りあげた池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)です。この庭園に併設していた柳沢吉保の下屋敷に、将軍綱吉は58回も足を運んでいます。その目的は、綱吉自身による儒学の講釈だったといわれます。 受講者は、随行の老中や大名、柳沢家の一族及びその家臣たちでした。その講釈の合間にこの庭園を散策し、将軍職という重責からくるストレスの解消を図っていたのかもしれません。

 「六義園」の名は、古代中国の漢詩集『毛詩(もうし)』の詩の分類法(六義に分類される)に倣って紀貫之(きのつらゆき)が『古今和歌集』の序文に記した、和歌の分類法(六体に分類)に由来するといわれます。和歌に造詣が深かった柳沢吉保が、『古今和歌集』に詠われた「六体(六義)」の歌の情景を再現しようとして作庭したといわれます。特に、紀州の和歌浦を描写した美しい歌枕の風景が、庭園の随所に写し取られています。

 享保9年(1724)に柳沢家が甲斐国から大和郡山に転封になったのちも、柳沢家の下屋敷はこの地に残り、六義園は幕末まで柳沢家の管理下にありました。明治になると、三菱財閥を創業した岩崎弥太郎が買い取り、荒れたままになっていた庭園を整備しました。そして、昭和13年(1938)、六義園は三菱グループから東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになりました。度重なる江戸の大火や関東大震災、第二次世界大戦の戦禍でも大きな被害を受けることなく、往時の姿を現在に残してくれています。

 園内に入ってすぐのところにある大きなしだれ桜や秋の紅葉をはじめ、園内には四季の花々が咲きほころび、東京都内でも有数の名庭園として、多くの人々に親しまれています。

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 六義園へは、JR駒込駅南口を出て駅前の広い道(本郷通)を南下(南東方向)します。400メートルほど歩いたところに広い交差点(不忍通り上富士前交差点)がありますが、その一つ手前の狭い道を右に入ると右手に正門があります。少々わかりにくいかもしれません。なお、紅葉の季節などには、庭園北東の染井門(本郷通り沿い)が開放される日があり、駅からさほど歩かずに園内に入れます。

 庭園内中央にある池(大泉水)の周りを一周すると、約1時間ほどの散策コースとなります。以下に、見どころを紹介します。

内庭大門(ないていだいもん)

 庭園の入り口にある門です。岩崎家が所有していた時代には建てられていたといわれますが、現在見る門は、その後東京市によって再建されたものです。

しだれ桜

内庭大門をくぐると、正面に大きなしだれ桜があります。昭和30年代に東京市によって植樹されたもので、樹高15メートル、幅が20メートルもあります。しだれ桜は、ソメイヨシノよりも少し早く満開になるそうで、お彼岸の頃に咲き始めるそうです。枝が柔らかいために垂れながら成長するその姿は、「あたかも水しぶき上げて流れ落ちる滝のような姿(説明版より)」と形容されています。

妹山(いものやま)・背山(せのやま)

 大泉水の中に浮かぶ中の島にある二つの山です。岸側にあるのが背山で、池の中央側にあるのが妹山です。和歌山県和歌の浦にある妹背山(いもせやま)がモデルになっているそうです。夫婦や兄妹のことを「妹背」と呼ぶことから、夫婦和合・子孫繁栄の願いが込められているといわれます

臥龍石(がりょうせき)・蓬莱島(ほうらいじま)

 中の島の西に、龍が臥せっているような姿で浮かんでいるのが臥龍石です。また、池の南西に浮かぶアーチ形の岩島が蓬莱島です。蓬莱島には不老不死となった仙人が住むといわれ、不老長寿の願いを込めて造られたものといわれています。明治になって岩崎家の人々によって設けられたものです。

水分石(すいぶんせき)・枕流洞(しんりゅうとう)

 池の南西岸にある滝見茶屋の近くにあります。枕流洞は、千川上水から池に水を供給する引き込み口(現在は井戸水を利用)で、「流れに枕して、下に祠あり」と『六義園記』では説明されています。この水の流れを三つに分けているのが水分石です。日本庭園の滝口の石組みでは、よく見かける風景です。

渡月橋(とげつきょう)

 庭園の北東、芦辺茶屋跡近くに架かる石橋です。大きな2枚の石板でできた橋で、なぜか2枚の石板が一直線上でなく中心をずらしてつながっています。手すりもなく、人二人がやっとすれ違えるほどの狭い橋です。この橋の魅力は、芦辺茶屋跡付近から見る景観です。2枚の石板とそれを支える大岩のバランスが絶妙で、六義園最高の撮影スポットといえると思います。特に紅葉の時期が素晴らしいです。

出汐湊(でしおのみなと)

 中の島の南側に広がる池畔です。六義園の中でも、随一の景観を誇る湊です。



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