ー甲斐健の旅日記ー      犬公方      犬公方

犬公方と呼ばれた将軍・徳川綱吉ゆかりの地を訪ねる
~将軍綱吉は「バカ殿」だったのか?
はたまた「名君」だったのか?~

 徳川歴代将軍の中で、5代将軍綱吉ほど評判の悪い将軍はいないと思われます。とりわけ彼が打ち出した生類憐みの政策は、「人間よりも御犬様を大事にして庶民を苦しめた悪法中の悪法」として、古今東西の文献で非難の的となっています。今回はその綱吉ゆかりの地を訪ねてみました。綱吉が生類憐みの政策に込めた思いとは何だったのか?巷間言われるように、将軍綱吉は「バカ殿」だったのか、それとも、彼が行った政治にはもっと深い何かがひそんでいたのか、考えてみたいと思います。

コラム1 徳川5代将軍綱吉は「バカ殿」だったのか、はたまた「名君」だったのか?
中野犬屋敷跡 中野犬屋敷跡
生類憐みの政策を打ち出した将軍綱吉は、江戸市中の犬を保護するために、現在の東京都中野区役所周辺に巨大な犬屋敷(犬小屋)をつくりました。現在、その痕跡は全くありませんが、わずかに、区役所前に造られた犬たちの像が当時の様子を伝えています。
護国寺
徳川5代将軍綱吉が、実母の桂昌院のために造営した寺院です(東京都文京区)。
湯島聖堂
儒学振興に力を注いだ将軍綱吉が建立した、孔子廟かつ幕府直轄の学問所です(東京都文京区)。現在でも「学問教育の聖地」として、受験シーズンになると多くの受験生が参拝に訪れます。
寛永寺
東京都上野にある寛永寺は、港区芝公園の増上寺と並んで徳川家の菩提寺です。徳川家墓所には、家綱(4代)、綱吉(5代)、吉宗(8代)、家治(10代)、家斉(11代)、家定(13代)の6人の将軍が眠っています。江戸の町の鬼門(鬼が出入りする方角:北東)を守るために建立されたいいます。
六義園(りくぎえん)
将軍綱吉の最側近として活躍した、側用人・柳沢吉保が造営した庭園です(東京と駒込)。和歌に造詣が深かった柳沢吉保が、『古今和歌集』に詠われた「六体(六義)」の歌の情景を再現しようとして作庭したといわれます。
館林城址
将軍綱吉が、将軍になる前に城主だったのが館林城(群馬県館館林城址/「犬公方」徳川綱吉が将軍になる前に城主を務めた城林市)です。現在は、本丸石垣・土塁跡や三の丸土橋門(再建)など、わずかに遺構を残すのみとなっています。
茂林寺(もりんじ)
特に将軍綱吉とかかわりはないのですが、群馬県館林市に来たらぜひとも訪れてみたいスポットです。おとぎ話『分福茶釜』ゆかりの寺として有名です。本堂北側の一室には、元亀元年(1570)に茂林寺の僧・守鶴が持ち込んだとされる分福茶釜が安置dされており、一般拝観可能です。