ー甲斐健の旅日記ー

高山寺/明恵(みょうえ)上人が日本で初めて茶園を造成した寺院

 高山寺(こうざんじ、こうさんじ)は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある真言宗系の単立寺院です。山号を栂尾山と称します。創建は奈良時代と伝えられますが、実質的な開基は、鎌倉時代の華厳宗の僧明恵(みょうえ)です。

 高山寺の創建は、宝亀5年(774)、光仁天皇の勅願によって僧・慶俊らが開創した華厳宗の寺院、神願寺都賀尾坊(とがのおぼう)に始まるといわれます。平安初期には、天台宗に改宗して都賀尾寺となりました。その後荒廃していましたが、高雄にある神護寺(じんごじ)を再興した文覚(もんがく)上人によって神護寺の別所として再興されました。その文覚上人が佐渡に流罪になると、弟子の明恵(みょうえ)が、建永元年(1206)に後鳥羽上皇の院宣(いんぜん)を得て、華厳宗復興のための道場をこの地に開設しました。この時明恵は、後鳥羽上皇より「日出先照高山之寺」の額を下賜されたといいます。この「日出先照高山」(日、出でて、まず高き山を照らす)とは、「華厳経」の中の句で、「朝日が昇って、真っ先に照らされるのは高い山の頂上だ」という意味であり、そのように光り輝く寺院であれとの意が込められ、高山寺と名付けられたといいます。それゆえ、高山寺の実質的な開基は明恵であるともいわれます。

 その後、伽藍(がらん)が整備され、大門、金堂、三重塔、阿弥陀堂、羅漢堂、鐘楼、経蔵、鎮守社などの堂宇(どうう)が立ち並ぶ寺院となりました。しかし応仁の乱では、西軍の山名宗全軍に占拠されるなどして戦火に巻き込まれ、さらに天文16年(1547)の細川晴元(室町幕府最後の管領)と同族の細川宇治綱との争いに巻きこまれて、金堂や三重塔など石水院をのぞく大半の伽藍を焼失しました。その後、江戸期になって、寛永11年(1634)に仁和寺の古御堂を移築して金堂が再建されました。さらに、開山堂や御廟などが江戸期に再建され現在に至っています。

 なお、高山寺の実質的な開基である明恵上人は、臨済宗を開いた栄西が宋から持ち帰ったお茶の種を贈られ、この地で茶の栽培に取り組み茶園を造成しました。そのため、栂尾産の茶は多くの人々に知られるようになりました。室町時代には、お茶の産地を当てる「闘茶」が流行したのですが、栂尾産のお茶は本茶、それ以外は非茶として扱われたといいます。現在では有名な宇治茶は、栂尾茶を移植したもので、当時は本茶として扱われていたそうです。この事から、明恵は茶祖とも呼ばれています。

 昭和41年(1966)に、仁和寺と双が丘(ならびがおか)売却問題(京都工科大学建設のため、この地を売却しようとしたが結局断念した事件)でもめ、真言宗御室派から離脱し、真言宗系単立寺院となりました。

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 高山寺へは、京都駅からですと、JRバス高雄京北線に乗り、「栂尾」で降ります。駐車場・バス停から境内に入る道は裏参道です。車やバスで訪れる場合はここを通ります。苔に覆われた石垣と草木の中をつづら折にのぼっていきます。一木一草をそのままに、手を入れすぎない自然の美しさがここにはあるといいます。石段を登り切ると、石積みの上に低い白壁が続きます。その壁の向こうが石水院です。

 石水院は「五所堂」ともよばれ、鎌倉時代初期の様式を伝える遺構で、住宅風(寝殿風)建築の傑作といわれます。もともと石水院は、貞応3年(1224)に後鳥羽上皇の賀茂別院を移築し、明恵上人が禅堂、庵室として使っていました。安貞元年(1228)に洪水があり、石水院は流されてしまいます。そこで、東経蔵に春日・住吉明神を祀り、石水院の名を継がせたといいます。当時は、経蔵兼社殿でした。天文16年(1547)の戦火では焼失をまぬがれています。そして明治22年(1889)、住宅様式に改築され現在地に移築されました。一重、入母屋造(いりもやづくり)杮葺き(こけらぶき)妻入り向拝(こうはい)が施されています。建物内の板間には、善哉童子像が置かれています。また、「鳥獣人物戯画(複製)」や「明恵上人樹上坐禅像(複製)」が展示されています。なお「鳥獣人物戯画」の本物は四巻あり、甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託されているそうです。

 石水院の西正面は、かつて春日・住吉明神の拝殿であったところで、正面には神殿構の板扉が残っています。欄間に富岡鉄斎筆「石水院」の横額がかかっています。鉄斎は明治期の住職土宜法龍(どき ほうりゅう)と親交があり、最晩年は高山寺をよく訪れたといいます。落板敷(おちいたじき:一段低く下がった床)の中央に、善財童子(ぜんざいどうじ)像が置かれています。華厳経に現れる童子で、法を求めて53人の善知識(指導者)をたずねて教えを請い、最後に普賢菩薩のところで悟りをひらいたといわれる善財童子を明恵は敬愛し、住房には善財五十五善知識の絵を掛け、善財童子の木像を置いたといいます。

 石水院の南面は清滝川を越えて向山をのぞみ、視界が一気に開けます。縁から一歩下がって畳の上に腰をおろすと、風景が柱と蔀戸(しとみど)、広縁によって額縁のように切り取られます。南面の欄間には後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」がかかり、寺号の由来を今に伝えています。

 石水院の北に、茶室遺香庵(いこうあん)があります。明恵上人700年遠忌(おんき)に際し、境内の整備の一環として、昭和6年(1931)に建立されました。茶祖明恵上人の茶恩に酬い、その遺香を後世に伝えることを主旨として、高橋箒庵(そうあん)ら全国の茶道家100人の篤志によって完成したものです。数寄屋大工は3代目木村清兵衛、作庭は小川治兵衛です。庭の最上部に位置する腰掛には香取秀真(ほずま)銘の梵鐘が掛かっています。通常非公開ですが、特別公開もあります。

 さらに参道を登っていくと、右手に開山堂があります。開山堂は、天文16年(1547)の戦火で焼失した後、享保年間(1716-1736)に再建されました。明恵が晩年を過ごし、終焉の地になったといいます。もともとは禅堂院と呼ばれ、明恵没後は御影堂(みえいどう)、その後開山堂と呼ばれるようになりました。宝形造(ほうぎょうづくり)銅板葺(どうばんぶき)で、正面に半蔀戸(しとみど)、両側に花頭窓(かとうまど)、側面に舞良戸(まいらど)が施されています。高山寺の法要の多くは、現在この開山堂で営まれているそうです。堂内には明恵上人坐像が安置されています。

 開山堂の上(北側)にある御廟は明恵上人の墓所です。覆屋(おおいどう)の中に古い五輪塔が納められています。廟の手前左手の一段高くなった所に古色を留めた塔が立っています。左端が宝篋印塔で高山寺型と呼ばれる古式の塔で、上人に帰依した富小路盛兼の寄進と伝えられます。その右に立つのがが如法経塔です。廟近くには歴代住持の墓もあります。墓域の入口に明恵の遺訓を記した小川義章筆の石碑「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」が立っています。

 この御廟を右手に見て、左の細道に入ると簡素な覆いの下に仏足石(ぶっそくせき)があります。釈尊の足跡をかたどり礼拝の対象としたもので、千輻輪宝(せんぷくりんぽう)、金剛杵(こんごうしょ)、双魚紋(そうぎょもん)などの紋様をもっています。近世の模刻ですが、釈尊に愛慕の情をよせた明恵の信仰の深さを偲ぶことができます。

 金堂は境内の最も奥まった場所にあります。その左右にひろがる平坦地にはかつては堂宇が建ち並び、創建時の高山寺の中心をなしていました。表参道から金堂へは、杉木立の中、やや勾配の急な石段を踏んであがります。金堂は、かつての本堂の位置に建っています。承久元年(1219)に建立された本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが安置されていました。その本堂は、天文16年(1547)の戦火で焼失しました。その後、江戸時代の寛永年間(1624~44)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築し、本堂のあった場所に金堂が建立されました。一重、入母屋造(いりもやづくり)、銅板葺の建物で、正面に一間の向拝(こうはい)が施されています。堂内には、本尊の釈迦如来像(室町時代作)が安置されています。

 金堂から石段を下り下っていくと、左手に茶園があります。高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られます。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を贈られた明恵は、山内で植え育て茶園を拡げていきました。修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたといいます。最古の茶園は清滝川の対岸、深瀬(ふかいぜ)三本木にあったといいます。現在の茶園では、今も5月中旬に茶摘みが行われているそうです。

 茶園からさらに下っていくと、両側に石灯籠が立つ場所に出ます。ここが、かつて大門(仁王門)があった場所です。ここから国道162号線までの道がかつての表参道です。表参道石段上には、「栂尾山 高山寺」の石碑(富岡鉄斎筆)があります。

 華厳宗の教えの中に、「この世の出来事は無限に関連し合って、次々に新しい結果を生んでゆき(重々無尽)、この世界では、完全に他から独立したものはなく、それゆえに、すべての迷いや悩みも悟りとどこかでつながっている」というものがあるそうです。すなわち、悟りに近づくためには、大いに迷い悩んで考えなさいということでしょうか。現代の私たちの生き方にも通じるものがあるような気がします。明恵は、ここ高山寺で華厳宗を中興すると同時に、日本で最初の茶園を造成したといいます。栂尾の豊かな自然の中で、明恵上人の魂が今も人々の心に平安を与え続けているようです。



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