ー甲斐健の旅日記ー

無量光院跡/奥州藤原氏三代秀衡が宇治の平等院を模して建立した寺院

 無量光院(むりょうこういん)は、奥州藤原氏三代秀衡が平泉の中心部に建立した寺院です。奥州藤原氏滅亡直後に、中尊寺経蔵別当心蓮が平泉の寺領安堵を願って頼朝に提出した「寺塔已下注文(じとういげのちゅうもん)」によれば、京都府宇治市にある平等院を模して建立されたといいます。本堂の規模は平等院とほぼ同じでしたが、翼楼の長さは一間分長かったと伝えられます。建物は東向きに建てられ、庭園から見ると、背後にある金鶏山(きんけいさん)に夕陽が沈むような配置となっています。金鶏山の方向に、阿弥陀仏の住むという西方浄土があるという設定で、浄土思想を表現していたとされます。本尊は、丈六の阿弥陀仏坐像と伝えられています。

 無量光院跡は、平泉駅からですと、駅前の交差点を右(北)に曲がり、東北本線の踏切を渡り、10分ほど歩いたところの左手にあります。道路沿いに案内板と無量光院復元図を描いた掲示板があります。平泉市内を複数個所まわる場合は、巡回バス「るんるん」が便利です。一日乗車券(400円:2015年11月現在)で、毛越寺、中尊寺、高舘義経堂、柳之御所跡などにアクセスできます。運行間隔は30分(4/18~11/3の土日祝日は15分)です。なお、平泉駅から無量光院跡までの所要時間は16分です。

 奥州藤原氏滅亡後、無量光院は度重なる火災によって焼失してしまい、復興はされていません。現在は、庭園の池跡、土塁や礎石が一部残るのみで、他は水田や松林となっています。昭和27年(1952)の発掘調査によって、往時の規模や配置が確認されました。



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