ー甲斐健の旅日記ー

妙心寺/権力に屈せず独自の禅風を守り抜いた寺院

 妙心寺(みょうしんじ)は、正式名を「正保山妙心寺(しょうほうざん みょうしんじ)」といい、臨済宗妙心寺派の大本山です。妙心寺のある花園の地(京都市右京区花園)は、風光明媚な土地で、第95代天皇であった花園上皇は、この地に離宮を営んでいました。禅の奥義をきわめることに熱心だった花園上皇は、建武4年(1337)に、この離宮を禅寺にすることを思い立ち、大徳寺の開山であった宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の弟子の関山慧玄(かんざんえげん)を開山として迎えました。これが妙心寺の始まりです。

 妙心寺は、五山十刹(ござんじっさつ)に代表される、室町幕府の庇護や統制下に置かれた寺院とは一線を画し、修行を重んじる厳しい禅風を持ち続けた寺院の代表的存在となったといいます(林下:りんか)。

 また、足利義満の時代には、妙心寺と関係の深かった大内義弘(西国の有力大名)が将軍義満に反旗を翻して敗れた(応永の乱)ことに連座して、寺地、寺領を没収され、妙心寺は一時的に中断という苦難もありました。永享四年(1432)に、尾張犬山の僧日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)が中興しますが、今度は応仁の乱で建物が焼失してしまいました。その後文明9年(1477)に、土御門天皇が第9世雪江宗深(せっこうそうしん)に復興の綸旨(りんじ)を下した時から本格的な再建が始まりました。現在、妙心寺の末寺は全国で3500寺にのぼり、臨済宗の中では妙心寺派が最大の勢力となっています。

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 妙心寺へは、京都駅から市バス26系統に乗り、「妙心寺北門前」で降りて北門から境内にはいる手もありますが、JR嵯峨野線花園駅で降り、北西に歩いて、南総門から入り、三門から順に見ていくのが正統なルートではないでしょうか。

 南総門をくぐり妙心寺境内に入ると、まず目に付くのが朱塗り鮮やかな三門です。三門は、慶長4年(1599年)建立されました。五間三戸の二重門で、入母屋造(いりもやづくり)本瓦葺(ほんがわらぶき)です。上層には観世音菩薩像と十六羅漢像が安置されています。三門から北には、仏殿法堂(はっとう)、寝堂、大方丈が一直線に配置されています。また東側には浴室、鐘楼、経蔵が並んで立っています。法堂、浴室へは、寝堂近くにある受付で予約すると、説明付きで内部を案内してくれます。

 仏殿は、文政10年(1827)の建立です。単層、入母屋造、本瓦葺で裳階(もこし)が施されています。内部の須弥壇(しゅみだん)には、妙心寺本尊の釈迦三尊像が安置されています。  

 仏殿の北に建つのが法堂です。明暦二年(1656)建立で、単層、入母屋造、本瓦葺で同様に裳階が施されています。堂内の鏡天井には、一面に雲龍図(八方にらみの龍)が描かれています。江戸時代初期の幕府の御用絵師狩野探幽(かのう たんゆう)の筆といわれます。法堂は、僧侶が仏教の教えを講義したり公式の法要が行われる場所ですが、古来、龍は仏法を保護する瑞獣(ずいじゅう)といわれ、禅宗の法堂の天井にはよく描かれています。また龍は「水を司る神」ともいわれ、僧に仏法の雨を降らせると共に、建物を火災から守ると信じられてきました。龍を見ながら堂内を歩いてみると、どこにいても睨み返されているようで、不思議な感覚になります。また堂内には、「徒然草」にも、その鐘の音の美しさが表現されている妙心寺鐘が置かれています。文武天皇2年(698)の作といわれ、記年銘のある鐘としては日本最古のものであるといわれています。録音テープの再生ではありますが、その音色を聞くことが出来ます。

 法堂の北に位置する大方丈は、承応3年(1654)建立で、単層、入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。方丈は、もともとは住持の住居だった建物です。現在は、内部に阿弥陀三尊像(鎌倉時代作)を祀っています。また、襖絵は狩野探幽、狩野益信の筆です。毎年11月3,4日には、曝涼(ばくりょう:虫干し)展が開かれます。この日は所狭しと掛け軸など多くの寺宝が並べられ、公開されるそうです。

 三門の東に位置する浴室は、別名明智風呂と呼ばれ、明智光秀の叔父である密宗和尚が光秀の菩提を弔うために、天正15年(1587)に建立したものです。単層、切妻造(きりつまづくり)、本瓦葺の建物です。浴槽は蒸風呂で、簀子(すのこ)の板敷きの隙間から蒸気が出てくるようになっています。現代でいえばサウナ風呂というところでしょうか。当時は僧侶だけではなく、一般の人々にも開放した公衆浴場であったそうです。浴室の北隣にある鐘楼には、風呂が沸いたという合図の鐘が、春日局によって建立されていたといいます。この鐘は、火災によって焼失してしまいましたが、その後、やはり春日局が寄進して造った鐘楼を移築して現在に至っています。

 この鐘楼の北に経蔵があります。寛文13年(1673)に建立された建物で、単層、宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦葺で立派な裳階が施されています。内部の輪蔵(りんぞう)には、6,160巻の一切経(いっさいきょう)が納められています。

 妙心寺は、幾多の苦難を乗り越えて現在の隆盛を築きました。それにしても、室町幕府の庇護を振り払い、大徳寺などと共に厳しい禅風を持ち続けたところは、立派というほかありません。その心が、謀反人といわれた明智光秀の菩提を弔うための浴室の建立を許した、懐の深さにつながっているのでしょうか。



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