ー甲斐健の旅日記ー

熱田神宮/織田信長の戦勝祈願に「応え」、「奇跡」をもたらした神社

 熱田神宮(あつたじんぐう)は、名古屋市熱田区にある神社です。神社本庁の別表神社(べっぴょうじんじゃ)として格式のある神社です。三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社としても有名です。また、戦国時代、織田信長が今川義元との決戦(桶狭間の戦い)を前にして、必勝を祈願した神社としても知られます。主祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)です。この神は、草薙剣を御霊代(みたましろ:神霊の代わりにまつるもの)とする天照大神を指すとされます。草薙剣とゆかりの深い神社で、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見した素戔嗚尊(スサノオノミコト)や、この剣をもって蝦夷討伐を行った日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相殿神(あいどのしん)として祀られています。

 創建は第12代景行天皇(けいこうてんのう:『記紀』によれば1~2世紀ごろ在位)の時代とされます。天皇の息子である日本武尊は、蝦夷討伐の帰路に尾張に立ち寄り、尾張国造(くにのみやつこ:国を治める長)の娘・宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)と結婚しました。その際、持っていた草薙剣を妃に手渡したといいます。その後日本武尊が伊勢で亡くなると、宮簀媛命は熱田の地に社を設け、草薙剣を奉納しました。これが熱田神宮の始まりといわれます。

 平安時代になると、大宮司職(神官の長)は尾張氏に代わって藤原氏が務めるようになりました。源頼朝の母・由良御前の父である藤原季範(すえのり)がその第一号です。前述したように、戦国時代、織田信長は、桶狭間の戦いの前に熱田神宮に立ち寄り戦勝祈願をしたところ、「奇跡の勝利」をつかみとりました。江戸時代には、熱田神宮周辺に東海道53次41番目の宿場・宮宿が設けられ、賑わいを見せたといいます。明治になって、近代社格制度が制定(明治4年)されると、官幣大社(かんぺいたいしゃ)という高い社格の評価を承けました。明治26年(1893)に、神明造(しんめいづくり)による新しい社殿が造営されましたが、太平洋戦争の空襲により焼失してしまいました。現在の社殿は、伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受けて、昭和30年(1955)に再建されたものです。

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 熱田神宮へは、名鉄線神宮前駅(名鉄名古屋駅から6~7分)で下車するのが便利です。駅の前の広い道(大津通)の西側に広がる広大な緑地が熱田神宮境内です。道路を渡って敷地内に入ると駐車場があり、その先に東門が見えます。ただし正門は南門ですので、敷地外周を1/4周ほど回って、正門から入るのが正式のようです。なおJR熱田駅も最寄りの駅ですが、境内の北東端で下車することになりますので、東門や南門までは若干歩く距離が長くなります。

 正門から境内に入る前に、左手(西側)にある上知我麻(かみちかま)神社を訪ねましょう。「知恵の文殊様」と呼ばれ、合格祈願の絵馬奉納などで篤く信仰されているそうです。また、両脇に大国主社(おおくにぬししゃ:大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ:恵比須様)が祀られており、毎年1月5日には「初えびす」があり、商売繁盛・家内安全を願う人々でにぎわいをみせるそうです。また、上知我麻神社のとなり(北側)に別宮八剣宮(べつぐう はっけんぐう)があります。和銅元年(708)、元明天皇の勅命で創建されたといいます。年間の祭事や神事はすべて、本宮に準じて執り行われるという重要な社です。古来から武家の信仰が篤く、天正3年織田信長が長篠の戦の時に社殿の修復を命じたり、慶長4年に徳川家康が拝殿、回廊などを修造したといわれています。

 南門の鳥居をくぐると、本宮へと続く参道がまっすぐに伸びています。道の両側にはいくつかの社や手水舎(ちょうずしゃ)などが設けられています。境内には楠木が多くあり、その中で巨大なものが7本あったので俗に「七本楠」と呼ばれています。特に、参道の途中にある鳥居をくぐった先(左手)にある大楠(おおくす)は、弘法大師のお手植えといわれ、樹齢千年以上にもなるといわれます。この大楠の北側に、信長塀が保存されています。永禄3年(1560)、織田信長は、桶狭間で今川義元軍と激突する前、熱田神宮に戦勝祈願をしました。その結果、見事に今川義元を討ち取り、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)だといわれます。土と石灰を油で練り固めたものを厚く積み重ねていて、日本三大土塀の一つとして有名です(他は、兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀)。

 南門から、まっすぐ北に歩いていくと本宮があります。この本宮は、明治の初期までは尾張造の建物でしたが、明治26年(1893)に伊勢神宮と同様の社殿配置となる神明造(しんめいづくり)の建物に改造されました。神明造の特徴は、掘立柱(ほったてばしら:穴を掘り、穴の底に柱を立てて、土で埋め戻したもの)、切妻造(きりつまづくり)平入(ひらいり)で、優美な曲線美の社殿とは異なり平面的で直線的な外観にあります。熱田神宮の屋根は銅板葺き(どうばんぶき)で、屋根の頂上部は板で覆われ、棟と垂直に何本かの断面が丸い部材(鰹木:かつおぎ)が配置されています。実は、熱田神宮は、昭和20年(1945)の米軍の二度の空襲で全焼しています。現在みる建物は、昭和30年(1955)に再建されたものです。拝殿には東西に翼廊が設けられています。その奥にある本殿に、熱田大神が鎮まっています。

 本宮の東に神楽殿があります。安産・厄除け・家内安全などにご利益のある社殿で、1月1日午前0時には、初神楽が奉奏されるそうです。この神楽殿の東側から、「こころの小径」に入ることができます。歩いて10分ほどの道ですが、熱田神宮で最も神聖な場所だそうです(なお、「こころの小径」の入り口は、本宮西にも在ります)。

 「こころの小径」には、以下のような社があります。
土用殿(どようでん)・・・明治26年(1893)の本宮社殿の改造までは、本宮の東に建ち、草薙神剣を奉安していました。昭和46年(1971)、現在地に古式のまま復元されました。
御田神社(みたじんじゃ)・・・五穀豊穰の守護神である大年神(おおとしのかみ)が祀られています。す。
清水社(しみずしゃ)・・・水をつかさどる神・罔象女神(みずはのめのかみ)が祭神です。眼病平癒の信仰があります。社殿の奥に「お清水」という水が湧き出している場所があります。この水で眼を洗えば 眼が良くなるという信仰があります。また、湧き水の中にある苔むす石は、あの楊貴妃の石塔の一部という説があり、三度水をかけて祈願すると願い事がかなうとか、この水で肌を洗えば、きれいになるといわれています。
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)・・・天照大神の荒魂(あらたま)が祀られています。

 最後に、西門のすぐそばにある菅原社を紹介します。祭神は、いわずとしれた菅原道真公です。学芸の神様として信仰の熱い社です。社前には、学業成就、入試合格、智恵授け等の祈願絵馬がたくさんかけられていました。



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