ー甲斐健の旅日記ー 天下布武を夢見た織田信長の軌跡をたどる旅

天下布武を夢見た織田信長の軌跡をたどる旅

 戦国時代、抜群の先見性と決断力をもって天下統一に邁進した織田信長は、現在でも人気度No.1の戦国武将といわれます。 今回は、天下統一の道を歩み始めた若き日の信長から、本能寺の変で暗殺されるまでの軌跡をたどりながら、その生きざまをを見つめていきたいと思います。信長が比叡山焼き討ちによって多くの僧侶らを殺戮したのはなぜか。信長が目指した理想の社会とはどんなものだったのか。そして本能寺の変は、なぜ起こってしまったのか。そんなことを考えながら、旅をしてみました。

コラム1 織田信長が比叡山を焼き討ちした本当のわけとは?
コラム2 本能寺の変はなぜ起きたのか
清州城 清州城
 清洲城(きよすじょう)は、尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった城です。清須の地は、京都と鎌倉を結ぶ鎌倉街道と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所でもありました。若き日の織田信長が城主となり、この城から桶狭間の戦いに出陣して宿敵今川義元を討ち果たすなど、天下取りの足掛かりをつかんだ地でもありました。
熱田神宮 熱田神宮
 熱田神宮(あつたじんぐう)は、名古屋市熱田区にある神社です。三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社としても有名です。また、戦国時代、織田信長が今川義元との決戦(桶狭間の戦い)を前にして、必勝を祈願した神社としても知られます。
岐阜城 岐阜城
 岐阜城は、岐阜市金華山(稲葉山)山頂にあった城です。戦国時代、美濃国を治めた斎藤道三の居城でしたが、永禄10年(1567)、織田信長が道三の孫の龍興を攻めてこの城を奪取し、天下布武(てんかふぶ)を押しすすめるための拠点としたことで有名です。標高329mの高さに設けられた山城です。
比叡山延暦寺 比叡山延暦寺
比叡山延暦寺は、伝教大師最澄が大乗仏教を広めるために創建した寺院です。戦国時代には、多くの僧兵を抱え、政治的にも大きな発言力を持っていましたが、元亀二年(1571)、織田信長による比叡山焼き討ちによって、寺は壊滅的な打撃を受けました。しかしその後復興して、現在も天台宗総本山として信仰を集めています。
安土城址 安土城址
 安土城は、安土山山頂(現・滋賀県近江八幡市安土町)にあった、織田信長によって築城された城です。天下統一の総仕上げの段階にあった信長にとって、天下人としての権威を人々に示す象徴的な建造物であったといわれます。現在、天守閣や本丸などの建造物は消失してありませんが、天守閣に至る石段や、石垣、建造物の礎石などが修復・保存されています。
阿弥陀寺 阿弥陀寺
 ここで紹介する阿弥陀寺(あみだじ)は、京都市上京区寺町通にある浄土宗の寺院です。阿弥陀寺は、天文24年(1555)、清玉上人によって創建されました。戦国武将の織田信長が清玉上人に帰依(きえ)していたといいます。境内には、清玉上人が本能寺から持ち帰ったとされる織田信長の遺骨が埋葬されています。
本能寺 本能寺
 本能寺(ほんのうじ)は、京都市中京区にある法華宗本門流の大本山です。天正10年(1582)、明智光秀が主君・織田信長に謀反を起こし殺害したとされる、本能寺の変の歴史舞台となったことで、あまりにも有名です。現在の本能寺は、変後に建造されたものです。信長が暗殺された旧本能寺は、ここから南西に1㎞あまりの中京区元本能寺町にありました。現在は石碑のみが立っています。
総見院 総見院
 総見院(そうけんいん)は、京都市北区紫野にある大徳寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。 戦国時代、天下布武を目指しながら、あと一歩のところで夢破れた織田信長の菩提寺です。本堂には、羽柴秀吉が信長の葬儀のために造らせたとされる二体の信長公座像(木像)の内の一体が祀られています。