ー甲斐健の旅日記ー

高館義経堂/義経終焉の地とされる

 高館義経堂(たかだちぎけいどう)は、岩手県西磐井郡平泉町の北上川に面した丘陵にあります。兄頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経が、居館(衣川館)を構えていた地とされます。そして文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧力に耐えかねた奥州藤原氏4代泰衡に急襲され、妻子ともども自害して果てた地であるとされます。その義経の武勇を偲んで、天和3年(1683)、仙台藩主4代伊達綱村により建てられたのが、この義経堂です。堂内には、義経の木像が安置されています。この地は、現在では北上川に浸食されて狭くなっていますが、当時(奥州藤原氏全盛時代)は要害地として重要視されていたといいます。高館からの眺めは素晴らしく、南北に流れる北上川と、その向うに束稲山(たばしねやま)を眺望できます。

 なお、最近の調査研究により、衣川館は実は、平泉の北を流れる衣川の北に位置する接待館(せったいだて)遺跡にあったとする説が注目されているそうです。今後の調査結果が待たれます。

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 高舘義経堂は、北上川沿いの高台にあります。平泉駅からですと、駅前の交差点を右(北)に曲がり、東北本線の踏切を渡り、15分ほど歩いたところにある義経堂への案内標識を右に曲がって少し登っていくと、入口の石段が見えます。平泉市内を複数個所まわる場合は、巡回バス「るんるん」が便利です。一日乗車券(400円:2015年11月現在)で、毛越寺、中尊寺、無量光院跡、柳之御所跡などにアクセスできます。運行間隔は30分(4/18~11/3の土日祝日は15分)です。なお、平泉駅から高舘義経堂までの所要時間は14分です。

 石段を登りきると、道は左右に分かれます。左へ行くと義経堂、右へ行くと芭蕉句碑があります。義経堂は、宝形造(ほうぎょうづくり)の小さなお堂です。天和3年(1683)、仙台藩主第4代伊達綱村によって建てられました。堂内には、本尊の源義経木像が祀られています。堂が創建されたときに製作されたといいます。勇ましい甲冑姿の像です。堂のすぐそばには、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立っています。昭和61年(1986)、藤原秀衡、源義経、武蔵坊弁慶八百年の御遠忌(おんき)に際して、供養のために建立されました。

 芭蕉句碑は、芭蕉直筆の拓本です。松尾芭蕉が門人の曽良(そら)を伴い、平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日のことでした。奥州藤原氏100年の栄華をしのび、眼下に生える夏草が風に揺れ日の光に映えるさまを見た芭蕉は、次の句を詠んだといいます。

    夏草や 兵どもが 夢の跡



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