ー甲斐健の旅日記ー

茂林寺/おとぎ話『分福茶釜』ゆかりの寺院

 茂林寺(もりんじ)は、群馬県館林市にある曹洞宗の寺院です。山号は青瀧山(せいりゅうざん)といいます。開山は、美濃国土岐氏の流れをくむ大林正通という僧です。本尊は釈迦如来です。日本昔話の『分福茶釜』ゆかりの寺としても有名です。

 開山の大林正通は、修行のため諸国をめぐっていた時に、上野国伊香保山麓で守鶴(しゅかく)という僧に出会いました。意気投合した二人は、応永33年(1426)、館林に移り住み小庵を結びました。さらに正通は、応仁2年(1468)、館林を治めていた赤井氏(正光)から8万坪の寺地を寄進され寺院を創建しました。これが茂林寺の始まりとされます。その後茂林寺は、大永12年(1522)に後柏原天皇から勅願寺綸旨(りんじ)を賜り、江戸初期には3代将軍家光より23石余りの朱印(将軍が公家・武家・寺社の所領を確定させる際に発給するもの)を下賜(かし)されるなど、高い寺格を維持しながら現在に至っています。

 茂林寺に深いかかわりを持つ分福茶釜についての逸話は以下のようなものです。開山の大林正通とともに館林に入り茂林寺の創建に尽力した守鶴は、その後も代々の住職に仕えていました。元亀元年(1570:館林に来てから約150年、守鶴はまだ生きていたということになります)、茂林寺で千人法会(ほうえ)が催されました。その時守鶴が持ち込んできた茶釜が不思議な釜で、いくらお湯を汲んでも尽きることがなかったのです。この釜で沸かした湯でお茶を飲んだ人は、等しく福を分け与えられるとして、たいそう評判になりました。しかしある時、守鶴は油断して熟睡してしまい、その正体を現してしまいます。手足に毛が生え、尻尾のあるタヌキ(ムジナという説もあり)の姿になってしまいました。本当の姿を人に見られてしまった守鶴は、寺を去る決意をします。そして、天正15年(1587)2月28日、源平屋島の合戦と釈迦の説法の場面を人々に再現してみせた後、タヌキ(ムジナ)の姿に戻って、飛び去って行ったということです。

 この分福茶釜の逸話は、明治以降になって作家の巌谷小波(いわや さざなみ)氏により、おとぎ話『分福茶釜』として世に発表され、多くの人に親しまれることになりまました。茂林寺本堂北側の一室には、守鶴が持ち込んだとされる「分福茶釜」が安置され、一般拝観ができます。

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 茂林寺への最寄り駅は、東武伊勢崎線・茂林寺前駅です。館林駅から一つ東京よりの駅です。駅前の斜め右方向の道を200メートルほど歩くとT字路にぶつかります。そこを左に曲がり、広い道を300メートルほど進むと、左手に「茂林寺」と書いた石柱があります。ここを左に曲がる(細い道です)と、左手に茂林寺の総門があります。なお、駅から茂林寺に至る道には、数十メートルおきに、おとぎ話『分福茶釜』のあらすじと挿絵が描かれた看板が置かれています。寺を訪ねる前に、『分福茶釜』のあらすじをおさらいしていくのも良いかもしれません。

 茂林寺の入口となる総門(通称黒門)は、応仁2年(1468)に建立されました。切妻造(きりつまづくり)桟瓦葺(さんがわらぶき)の門です。総門をくぐると、参道の両側にたくさんの狸の像が並び、私たちを迎えてくれます。そのいでたちや表情が一体ごとにちがっていて、見て楽しいタヌキたちです。その個性的なタヌキたちに別れを告げ、山門(通称赤門)から茂林寺境内に入ります。この山門は、総門よりだいぶ時代が下って、元禄7年(1694)の建立とされます。こちらは寄棟造(よせむねづくり)茅葺(かやぶき)の門です。

 山門をくぐったところに、大きなタヌキの像があります。これは、東武鉄道(株)が昭和35年に寄贈したものだそうです。正面に見える本堂の前には、聖観音像(しょうかんのんぞう)があります。元禄元年(1688)、上野国館林村の庄屋・高瀬善兵衛の娘が若くして病死した際に、その供養のために造られたと伝えられています。

 本堂の左手の建物は、守鶴堂です。分福茶釜を茂林寺にもたらしたとされる守鶴和尚を祀るお堂です。堂の前には、やはりタヌキの像が置かれています。

 寄棟造(よせむねづくり)茅葺(かやぶき)屋根の本堂は、応仁2年(1468)に建立され、享保年間(1716~36)の改築を経て、現在に至っています。堂内には、本尊の釈迦如来像、開山の大林正通、および長年この寺に仕えた守鶴の像が祀られています。また本堂北の一室には、守鶴が茂林寺にもたらしたとされる分福茶釜が安置されています。分福茶釜発祥の説明音声を聞きながら拝観できます。

 本堂の前にあるラカンマキの樹は、大林正通と守鶴がこの地に小庵を結んだ応永33年(1426)に植樹されたものと伝えられ、樹齢は590年を超えています(2018年現在)。樹高約14メートル、幹の太さは2.8メートル(目通り)と、最大級のものです。ラカンマキは、刃先がとがっているため、本堂の「魔よけ」として植えられたといいます。



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