北の大地・函館を訪ねて
ー戊辰戦争最後の戦いの地ー
嘉永7年(1854)、徳川幕府は200年以上にわたる鎖国政策を改め、アメリカと和親条約を締結しました。このとき開港されたのが、伊豆の下田と北の大地・箱館(明治2年に函館に改称)の2港でした。以来函館には、外国の領事館が置かれ、教会や洋館などが数多く建てられました。現在でも、元町界隈には異国情緒あふれる街並みが残っており、港町函館とは違う一面を私たちに見せてくれます。
また、元治元年(1864)には、中世ヨーロッパの城郭をまねた五稜郭が完成し、郭内に箱館奉行所が移転されました。箱館奉行所は、その後明治新政府に移管され、蝦夷地の行政の中心となっていましたが、明治2年10月、江戸から脱走した幕臣・榎本武揚や新撰組副長・土方歳三らの旧幕府軍により占拠され、箱館戦争の舞台となりました。榎本らは、この地で「蝦夷共和国」樹立を宣言しましたが、翌年5月に新政府軍の総攻撃を受け降伏しました(土方歳三は戦死)。五稜郭跡は現在公園となり、多くの市民の憩いの場となっています。また函館には、歴史にゆかりのある寺院もあり、見どころ満載の町です。
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五稜郭 幕末の戊辰戦争の最後の戦い(箱館戦争)の舞台となった場所。現在は、函館市が管理する公園となっています。すぐそばにある五稜郭タワーの展望台から、五稜郭と函館市街が一望できます。 |
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立待岬~碧血碑(へきけつひ) 津軽海峡と函館市街を見渡せる立待岬から、箱館戦争で戦死した兵士を供養する碧血碑に至るハイキングコースです。 |
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元町界隈 外国領事館跡や教会などの建物が今も残り、異国情緒あふれる街並みを満喫できる界隈です。 |
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高龍寺 函館に現存する、もっとも古い寺院です。箱館戦争時には、日本最初の赤十字病院である箱館病院(院長・高松凌雲)の分院となっていました。 |
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実行寺 ペリーが函館に来航したとき、一行の宿舎となりました。また、フランス軍艦の水夫が疫病にかかって箱館に入港したときは、水夫のための養生所となりました。一時期、ロシアの領事館が置かれたこともありました。 |
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函館・称名寺 箱館戦争時には、新撰組残党の屯所となっていました。境内には、土方歳三と新撰組隊士の供養碑があります。 |
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函館・外人墓地 遠く異国よりこの地に来て、母国に帰ることなく亡くなった人々の墓地です。プロテスタント墓地、カソリック墓地、ロシア人墓地、中国人墓地の四墓地があります。 |
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トラピスチヌ修道院 函館市郊外にあるトラピスト会系の女子修道院です。美しく整備された境内を歩いていると、厳かな雰囲気の中で、心が安らぐようなやわらかい風を感じます。外界のことはしばし忘れて、余計なことは考えずに散策するのもよいかもしれません。 |







